2013年11月9日土曜日

20131109-01

毎日いやなことが少しずつ、でも確実に起こるけど、毎日びっくりするくらいわらってる。おとといもたのしかったし、きのうのよるもたのしかったし、毎日すごくしあわせだと思う。でもあんまりにも少しずつ、でも確実に起こるいやなことが積もり積もって重すぎて、人間はこういうとき、変なツボとかを買ってしまうのではないかな、と思っている。
扉を閉めた瞬間に聞こえる他人の笑い声とか、そういうものにビクっとするのはすごく無駄だから、早くやめたいな、と思う。

毎日すごくたのしくて、楽しくない瞬間もやまほどあってというかそういう時間のほうが一日のうちに大半なんだろうけれども一日一度は口をあけて声を出して笑えていて胸が痛い感じで「“いま”しあわせだな」と考えるから、わたしは幸せなのだと思う。幸せは瞬間のもので、「変わらない」ってことは絶対になくて、じゃあなんで変わらない幸せを享受しているように見える人たちが存在するかというとその人たちが(無意識にしろ)ものすごい努力をしているからだとわたしは思う。もしかしたら、息をする、心臓を動かす、というレベルのことをわたしが努力しなければできない人間だということだけなのかもしれないけどわたしにとってそれは血のにじむような努力で、だから今日わたしがしあわせなのは、誰かや誰かのおかげでもあるけど、わたし自身の努力の結果でもあって、でもこの努力をしなくなったら堅牢に見えるこの足元がガラガラ崩れてしまうこともわかっているから、だからきっと「しあわせだな」と思うとき、胸が痛いんだろうと思う。



すごくさむくて手がうごかないから、ちょっとだけおふとんにくるまってきます。

0 件のコメント:

コメントを投稿