2013年11月18日月曜日

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ああ人間はこういう時にご利益のある壺を買ってしまうのだな、と思ってる。ご利益のある壺(100万円)はさすがに買えないけれど、ご利益のある石のネックレス(1万円)くらいなら買ってしまいそうだし、知人に「いい占い師知ってるんだけど一度見てもらったら?」って言われたら見てもらってしまいそう。

こういう時の人間の心理を分析して、例えば何か嫌なことが起こった時に、(1)その原因が不明瞭な場合(2)連続して起こる嫌なことの、その連続性に因果関係を求める場合――オカルトに傾倒してしまうのかな、と思った。
わたしの場合は(2)。全く関連しない事柄に無理矢理関連を求めてしまっている場合。頭ではそれらは全く関係ないとわかっているし、それぞれの原因と解決方法もわかっているのにそれでもだめだ。
例えば、(1)自転車が盗まれた(2)配達されてきたamazonの商品が破損していた(3)家にゴキブリが出た(4)職場でクレーマーからの電話に当たった(5)わざわざ電車に乗って向かったお店で目当ての商品だけが売り切れていた――これらの五つの項目に、因果関係を求める場合、それはオカルトに頼るしかなくなる。
(1)最近いいことがありすぎたから(2)わたしに実は今オバケが憑いているから――悪いことがこんなに立て続けに起こるんだ、って思うとすごく楽になるのだと思う。それは、目をそらしていると同義なのかなと自分では思うし、そこに因果を求めても何の解決にもならないし、問題1~5の解決方法というか対処方法はきちんとわかっているのだから冷静に普段通りの頭で一つ一つこなせばいいだけなのにそれができなくて、多分、一つ一つの出来事はものすごく小さな事柄で、それこそよくある「不幸」「不運」 程度のものなのに、それら一つ一つを解決する前に次の事柄が襲ってくるから、ボディーブローみたいにじわじわ精神が浸食されて、その結果わたしは今とても、お祓いしたいし占いに行きたい。その出来事の一つ一つ、正しい原因を言われるよりも「それは全て、あなたに取り付いている幽霊のせいです」と言われたほうが楽になるのは、ありもしない藁人形を殴るみたいな、そういう無意味なことなんだろうけど、きっと精神がどこかに、イケニエみたいに原因を捧げて、そこに振り上げた拳を振り下ろしたがっているからなのかなとも思う。


ここまでわかっていても憂鬱なものは憂鬱だし、お祓いはしたいし胸はざわざわするし、だからせめて今目の前にある問題を箇条書きにして、今できることとそうじゃないこと、明かさなきゃいけないこととやらなきゃいけないこと、本当は自分はどういう精神状態になっていたらよくて、そのためには今気分転換が必要で、だから例えばラジオを聞いてバラエティやアニメを見て小説を読んだり、そういうこと必死でしてるけどまだ全然全く落ち着かないから文章を書いている。精神回路が透明な模型になって俯瞰で見れて指でいじくれたとしたとしても、多分全然現実に反映されなくて、だから人間の感情って難しいなと思う。誰かを好きだという気持ちがコントロールできないなんてのはよく聞くしわかってるけど、何かの問題に直面した時に、賢い行動ができないのは得てして感情が邪魔をするせいで、そういうときにわたしは自分の愚かさを思い知って嫌になるのだけれど、今ものすごく、そういう感じ。なんて「賢くない」んだろうって思うんだけど、それでもコントロールできない感情があって、それはそれとしてコントロールできないものとして認識して、何とかごまかすのが賢いと思うので、だから今から食器を洗います。

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