2013年11月20日水曜日

20131120-01

息の仕方がわからなくなるときがある。鼻と口、それぞれからどれくらいずつ吸って吐いてをしていたか/一度にどれくらい吸い込みどれくらい吐くのか/肺にまで入れたという感覚はないけれど空気を飲み込むようにしなくてもいいのか/どのくらいのペースで吸って吐いてを繰り返せばいいのか。意識すればするほど呼吸は浅くなり、地上にいるのに溺れてるみたいに息ができなくて苦しくなる。「呼吸」を意識しないようにすればスムーズに息ができる、それがわかるから次から次へと浮かぶ「呼吸」に対する疑問を無理矢理封じ込めてわたしは無理矢理意識を逸らす。『昨日(すー)テレビでやってた(はー)炊き込みご飯あれすごく(すー)おいし(はー)そ(すー)うだったな(はー)、今度家(すー)でもつく(はー)ろうかな(すー、はー)』。いっそ酸欠で倒れてしまえればいいのにと思う、気絶したり眠ったりして意識がなくなれば、自然と呼吸ができる気がするから。わたしは果たして本当にちゃんと、酸素を吸って二酸化炭素を吐けてるの、わたしはちゃんと肺に空気を送り込めているの、これを24時間365日意識しないと生きていけないなんて辛すぎる、
だったらいっそ、



夜、お布団に入り眠りにつくときには呼吸のことはあまり意識しない、呼吸のことで辛くなるのは人混みにいるときだけだ。夜寝るときに気になるのは呼吸ではなくて、目の位置。瞼を閉じて真っ暗になったときどこに焦点を合わせていいかわからなくて目の奥がツンと痛くなりどうしていいかわからなくなる。瞼を閉じてもわたしの目は瞼の裏を確実に見ていて、でも瞼の裏って言っても案外大きくて、それの中心なのか端っこなのかどこを見ていれば眠りに落ちることができるのかわからなくてキョロキョロして、目の奥が痛くなって途方に暮れる。光化学スモッグで濁った都会の夜空みたいなわたしの瞼の裏をずっと眺めているのは拷問に等しく、こんなに辛いならいっそ起きてようと目をカッと開くけれどそしたら目に飛び込むは壁掛け時計の文字盤で明日の起床時間を考えるともうそこには絶望しかなく、やっぱり眠ってしまわないと死だよ、死、とか思うけど目を瞑ると瞼の裏が襲いかかってくるし、わたしの目は死ぬまで何かを目撃し続けていてどこにも休まる場所なんてなくて、そう考えていつも絶望する。こういう時も呼吸と同じで意識を逸らすことだけが唯一の問題の解決方法だとわたしは知っているから、だからわたしはまたしても、必死で意識を逸らし続ける。意識を逸らすために脳裏に浮かべる今日あった楽しかった思い出と、目の前の瞼の裏の暗闇は重なることはなく同居して、脳内の映像と目に映る映像の、再生場所って本当に違うのだなって思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿