2012年5月11日金曜日

20120511

昨日までの数年間がぼくの前から消えた。


まるで昨日のように思い出せるそれらは、実際にはもう十年前くらいのものだ。その事実に愕然とする。
畳の上に敷かれた電気カーペットの暖かさ、少し大きめのおばあちゃんの木のお椀。無造作に詰まれた地方紙と頭上を飛び交うやわらかい方言。
しあわせな記憶は、日常の隙間から忘れたころに顔を出す。それに飲み込まれたら終わりだって知っているから、必死で見ないふりをする。 一本しかない線路と無人駅、瓦屋根にうっすら積もった雪。包まれているころからしあわせすぎて死にたくなったけど、遠くになった今もそれらはぼくを殺そうとする。「なくなってからはじめて、それが大事だったって気付くんだよ」ってよく言うけど、ぼくはそれを持っているときからずっと、それがとても大事なものだって知ってた。だからよくほっぺたをつねって、「これが現実なんだ」って確かめてた。「わたし今ここにいる、今、いま!」 どんなに確かめても時間は止まってくれなくて、今日も昨日も10分前もいとおしくてたまらなかった。

ばかだな。


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ぼくはぼくの考える合理的理由から後悔をしない。

こうかい[―くわい] 1 【後悔】(名) スル
あとになって悔やむこと。

くや・む【悔(や)む】[動マ五(四)]
失敗したことや、十分にできなかったことなどを、あとから残念に思う。後悔する。「若いころの不勉強が―・まれる」

残念には思っているけどしかたないと思っているし、残念だなって気持ちはあるけどでもそれでよかったと心底思っている。だから、後悔をしない。
でも自分を客観的に見て、「ぼくは後悔をしない」ってずっと言い聞かせているということはどういうことなのかな、ってことも、本当は気付いている。
でも、してもしかたがないことは、しない。
そういう自分の気持ちと切り離したところで、これが「よいことだ」ってのはわかってる。
たとえ言い聞かせる姿が惨めに見えたとしても、それさえ含めて、ぼくは幸せだ。


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瓦屋根も側溝も見るもの全部がめずらしかった。
北海道じゃないところにも雪が積もるのがふしぎだと思った。
小さな無人駅から一人で歩いた。神社の境内、標識、二重じゃない玄関、土間。
畳の上に敷かれたカーペット、お父さんのパソコン、飾られた賞状、お仏壇、おばあちゃんの籐の椅子、しらないチェーンのお店のチラシ。
手作りの旅行のしおり、鈍行列車、てぬぐい、おばけの出る国道。
私鉄、山の上の神社、甘酒、




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なんで人は泣くんだろう。

例えば赤ちゃんが泣くのは、しゃべれないから、
しゃべるかわりに泣いて訴える。
大人になったってそういう人はたくさんいる。
でもわたし、泣いて訴えたいことなんてなにもない。
だから泣くのがとても理不尽に思えて、
こうやって理屈っぽく考えるから泣けなくなって、
澱ばっかり溜まる。


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10秒逸らしたらなにがそんなに悲しくて泣きたかったのか理解ができなくなるな。
賢者タイムって多分こんなかんじ。






ちょっとすっきりしてツイッターを見てみたら「射精すぞコラ!」ってツイートしている人がいて、「これはわざわざ『しゃせい-すぞ』って変換したのかな、それとも辞書登録したのかな」って考えちゃって全てがどうでもよくなりました。おわり。

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