2014年10月6日月曜日

20141006-01

わたしの汚さはわたしが一番よく知ってる、爪の先から足の先、髪の毛の一本に至るまで漏らさず汚いんだよ、知ってる。
多分何者にも侵されない汚さ、誰のことも侵さない汚れ。

******************************************

嫌な夢を見るたびにわたしには想像力がないのかと思って絶望する、夢占いが必要ないほどの具体的な内容に絶望する。わたしのすきなひとに、わたしと一緒じゃなくていいから、幸せになってほしいとは本当に心底真摯に思っている、思っているのに多分、エゴみたいなものが残っているんだと思う。わたしの夢がバッドエンドで終わることに、自分の良心みたいなものを感じて安心する。
自分に絶望したとしても、それでも死ねないなら生きなきゃいけないから、消極的結論だとしても生きなきゃいけないから、それならそれで誰にも認められないまま、ひっそり生きてもいいんじゃないかなって今思った。 承認欲求というか褒められたい願望は多分人一倍強くて、社会的にじゃなく極個人的に褒められたら生きていけるほど切実なそれを抱えているのだけれど、例えば業と呼ばれるほど強くもなく、しないと生きていけないほどのものでもない、それでもなんとなくしたい程度のものでも平等に、存在することを許されるとするならば、それはそれでいいんじゃないかなって、今思った。


すきなひとはたくさんいる、わたしが接することによりマイナスしか生じないようなすきなひとがたくさんいる。そういう人の幸せを祈るのはただの自己満足でしかないけれど、死にたくなるほどの悪夢と引き換えに、その人たちが穏やかに暮らせないかなって、かみさまみたいなことを思ってる。

0 件のコメント:

コメントを投稿