2012年6月4日月曜日

20120614

アニメとかマンガとかバンドとかそういうもの全部放映終了後や連載終了後や活動終了後にすきだって気づく。終わってから知るものじゃなくて、やっている時すでにその存在を知って触れていたものもそうだからくやしい。そりゃあ当時からすきだよすきだったよ、でも終わってからじわじわ、くちのなかで海綿が涎を吸ってふくらむみたいにじわじわ、気持ちだったり自覚だったり、が遅れてやってくる。
そしてああわたし、どうしてもう少し早く自覚しなかったんだろうって後悔に似た気持ちを抱いたりするけど、同時にすこし、嬉しくなる。ああそうか、わたしたぶんきっと、これが本当にすきなんだね。


生きているものは料理しにくい、調理なら息の根を止めてから。相手が動かなくなってから、ゆっくり煮るなり焼くなり切るなりする。必要な部分だけ切り取って、好みの味をつけて、好きなだけ捏ね繰り回す。そういうことしてると、「ほんとうにすきってなんだろう?」ってよくかんがえる。でもかんがえてもわからないから、まあいっかなって思って、戻したそれを咀嚼する。



アニメやマンガや音楽、あと、人も。


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嫌いな人は存在を消したいから徹底的に忘却する(ふりをする)のだけど、例外もあるようである。

わるくちの定義は人それぞれだと思うけど、僕は僕が定義する「わるくち」を、人と共有することはしないししたくない。程度の違いはあれど嫌いなひとはいて、でもその僕の嫌いな人に対してのわるくちを誰かに振られても、どうしてもちょっと、フォローしてしまう(多分これは、人のわるくちをその人がいないところで言うことに、価値を見出せないからだ。改善して欲しければ直接いえばいい、文句がいいたいなら直接いえばいい。陰でわるくちをいうということの、生産性のなさがたまらなく、いやなのだ)。僕が僕の定義する「わるくち」を全力で言うのは僕の心の中だけで、なぜそれを口にしないかというと、口が汚れてしまうからだ。言霊というものの存在を僕は結構信じていて、それは発音したときに生まれる。人を呪わば穴二つとか、言われて厭なことは言わないでおきましょうねとかじゃなく、「くちがよごれる」から言わない。きたないことばをつかわなくても、人に対しての軽蔑とか嘲笑とか貶めてどうこうっていう、そういう気持ちで発する言葉は全部きたない。

誰かにたいしての悪口、というより、罵り、を考えてみても、すぐに忘れる。
結果僕は生産性のないことがきらいで、罵ることに(若干の優越感を覚える、以外)何の価値も見出せないから、すぐ飽きる。


最大のわるくちはあれだな、「おめでとう」 だな。



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生産性のことばかり考えていると 、



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途中でちがうことかんがえたらなんて書こうとしてたかわすれちゃった。ねむたい。おふろはいってきます。







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