2012年6月17日日曜日

20120617-memo

「死にたみ」や「ぜつぼう」に折り合いをつけて上手くやってく術を身につけるの、生きていく上での知恵なのだろうけど賢くなればなるほど鈍くなるようで、辛い。



何かに傷ついたり煩悶したりして「削られ」た後瘡蓋が剥がれ落ちた皮膚は図太いほど厚くなっていてもう大抵のことに血を流したりはしなくなった。白く跡が残る程度に引っかかれることはあったとしても痕にはならない、それは中身を守るという意味では確実に成長であり進化だ、でも果たしてぼくはそれで満足か。しぬか、しなないか、で後者を選んだことは果たして正解か。境界線を歩こうにも成長しすぎてしまった僕はスタっと歩道に着地し舗装された歩道をてくてく歩いているけれどもこれは本当に誇るべきことか。(正しいかはわからないけど危険度の少ない)道をまっすぐ進むことはつまりは安心安全であるということだ、そのことに対して疑問を抱くのはまさに「中二病」ぽくて、あれだな、あれだ。



おさけのせいかわからないけど両腕がものすごくかゆい。


*****************************************



実家にいてもこいびととくらしていても一人暮らしをしていても、定期的に家出をしたくなる。だから今日はプチ家出をした。夏はすごくきらいなのだけど、夕方になっても夜になっても、明るいのがとても、よい。カッフェーでごはんをたべて小説を読んで、移動してカッフェーでコーヒーを飲んで小説を読みました。ポメラと自由帳を持っていったけど一切使わなかった。わたしのポメラは墓場のようである、多分今は、お正月のなにかしらと、いつぞやのなにかしらが眠っている。今後、「いつぞやのなにかしら」がどんどん埋葬されてゆくんだろうな、って思ってる。


部屋の電気もテレビも消して今モニターの明かりだけだから、自分の腕の色もわからない。でも多分、両腕が気持ち悪い感じになってるんだろうなーって思ってる。おうちで夜一人でお酒を飲むのって、お酒でよっぱらっているせいにしたいからかもしれないって今日気付いた。お酒のまなくてもわたし十分なんだけど、シラフで精神的に泥酔するのはすごく、言い訳ができないから。でも最近、おさけはあまくてもにがくてもおなかいっぱいになるし翌日気持ち悪くなるから、あんまりおうちでひとりで夜のむのはやめたほうがよいなーって悟った。両腕もかゆくなるし。今日ぼくがお酒を飲んだのは、アニメ見てたからです。ほんとうはよいワインを片手にアニメ見たかったんだけどワインあんまり得意じゃないからウイスキーにしただけです。これは酔っ払いたいとかそういうのとまた違うあれ。


*****************************************



「おんなのこだったらよかったな」って思うことが沢山あるのだけど、これは多分僕が女の子だったら、「おとこのこだったらよかったな」って思うことなのだろうなって思っている。思わせぶりな比喩をとっぱらってすごくあけすけに言うと、「性別がXXだったらよかったな」って思うのは、性別が「XX」なひとと仲良くなりたいとき。同性以外のひとに「すき」って言うのって多少なりとも気を使うけど、そういうのめんどくさいなって思うことが多々ある。異性なせいで警戒心を抱かせてしまうのだろうなって思うとちょっと悲しくなる、でも多分逆だったらそう思うだろうから、しかたがないかなとも、思う。同性だったらたとえば、こう、警戒されたらどうしようとか考えないで、もっと簡単にあそぼうよ!とかいえるのかなあ?って思ったりすることが結構ある。
でももし異性からの「すき」でも、例えば何かのアクションを起こしたり、相手に回答を求めるような問いを投げかけたり、不快になるような言葉を吐いたりとかそういうこと何にもしないでただただ適度に「好き」と告白するという行為はそんなに不快には思われないのではないかな?ってちょっと思った。 ものすごく憎い相手や軽蔑している相手だったら好意を持たれること自体が耐えがたい屈辱だったりすることはあるけれど、そうじゃない、どうでもいいレベルの人だったら、そして別にその人が自分に対して何も求めていないただの告白をしているとしたら、別に不快にはならないのじゃないかなって。どうなのだろうな、でもやっぱり、「相手がぼくだからなぁ」とは思ってしまうけど、どうなんでしょうね。





両腕がかゆいせいと、アニメについて思いを馳せるにはのうみそが足りないせいでものすごくくだらないにっきをかいてしまったけど多分ブログだからなんでもよいきがする。しかしどうにもあまりにも下らない上なんだかわかんないけど現時点でさえ若干はずかしいから、寝て起きて読み返してふわあってなったら消したりすればいいだけのはなしだな。これが深夜のテンションというものか、恐ろしい。



僕が自分のことについてしゃべったり書いたりするときの文末が「~と思う」 ばかりになってしまうのは、多分、いろんなことに自信がないから、と、いろんなものの多様性を思い知らされているから、だと思います。

















0 件のコメント:

コメントを投稿