2013年3月9日土曜日

20130309-01

自分の極端さにいい加減慣れてきて、だからこの感情が瞬間的なものなのかそれとも今後とも持続されるようなものなのかはそれとなく肌でわかっていて、でもたとえそれが瞬間的なものであるとしてもプラスの感情ならば積極的に表に出すべきで、その波が引き好意が無関心に変わったとしてもそれはわたしの心の中に秘めるべき、つまりわたしには表面上、すきな人しか、いない。



「覚悟」について考える。全否定したそれ、それの本当の意図と意味と、わたしの「覚悟」について。


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調子が悪いのを客観的に分析するとつまりそれは春のせい、温い空気は精神を蝕み肉体を滅ぼす、ただでさえそうなのに花粉がプラスされてわたしの白目が赤く爛れる。世界平和を願った10秒後にみんな死んじゃえばいいと思うときがあり、でも多分その感情はわたしの本当の気持ちではなくて多分春の凶暴性のせい。くしゃみと寒気と微熱を覚えて条件反射的に暖を取り果物を食べる、熱を測るも35.6度、多分そのうちわたしの体温に気温が易々到達する。

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「頑張って」や「死ね」よりも、「笑って」が一番刺さるときがあって、それが今。

  
生みの母や血を分けた家族、粘膜でまぐわった恋人や心中吐露しあった大親友、そういうものでさえ届かない心の奥について考える。「どれだけの時間と精神をつぎ込んでそれを作った」かはすでに問題じゃなくて、でも確実に芯を捕らえるそれ、人間じゃ到達できないそれ。あの子のそこにわたしが届かないのがどうしようもなく切ないけれどわたしにだってその領域はあって、不可侵のそれ、だれにも不可侵のそこ。きみのギターロック、あのこの描いたマンガ、彼が放ったひとこと、そういうもので死にそうにもなるし、泣くときもあるし、どうしたって生きていけるきもちになることもあって、うん、って思う。スマイルをロストしましたが枕元ですぐに発見、そうしてわたしは3月をすごす。


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