2013年4月9日火曜日

20130404-02

季節を意識したことわたしここ数年なかったように思う、いまいち自信がないのはここ数年の記憶がスポンとないせいで、そう告げると「いいんじゃない?」と彼女は薄く笑う。彼女には(もしかすると、大部分の人がそうかもしれないのだけど)今までの記憶がそこそこあり、そこそこというのは当然人として忘却する程度のもの(中三の時の体育教師の名前とか、昔の職場の先輩の顔とか)は忘却していて印象深いものは覚えている(高一の時の親友の名前や、前の職場の仲の良かった後輩の顔)という程度のものだけど、わたしはそれがひどく羨ましい。わたしにも28年くらいの歴史があって、そこそこ楽しくやってきたつもりなのに学校に通った記憶も友人と遊んだ記憶もなくて、それはわたしが学校に通っていなかったり友人と遊んでいなかったわけではなくただ忘れているだけで、その証拠に昔の同級生と偶然どこかで会えば声をかけられ実家には卒業アルバムもある、親しげに声をかけ思いで話をしようとする元親友の話が全くピンと来ず曖昧に笑うのも、卒業アルバムの中で知らない人たちに囲まれ楽しそうに笑う自分の写真と向き合うのにも疲れてわたしは彼女の部屋に転がり込んだ。3ヶ月前に知り合った彼女はわたしに思い出話をたくさん聞かせてくれる、同年代という彼女の話す「当時の流行」にわたしは全く共感を覚えず、例えばみんな聴いていた曲や見ていたTV、読んでいた漫画がわたしの記憶には全くなくて、それは過ごした環境の違いと言うより純粋にわたしの忘却のためで、だから彼女の思い出話はわたしにとってまるで異国のお伽噺のようだったし、彼女もそれを承知していたのでわたしと思い出を共有できなくてもただただ笑ってくれたから、わたしは時々相槌の代わりに「いいな、XXは」って呟いてしまう。「なにが?」とその都度聞かれるのでわたしも律儀にその都度「楽しそうな思い出がたくさんあって」って答えるけれど彼女は決まって薄く笑って「どっちがいいかはわからないな」って答える。彼女の言う「どっち」とは過去の記憶があるかないかでつまりはわたしと彼女のことで、彼女は自分のことを不幸だとは決して思っていなかったけれどわたしのことはわたしのことでそれもありかなって思っている部分があるみたいで、わたしは変なの、とこっそり思った。

物事は、終わってしまうと小さな箱にしまわれる。空気を抜かれ圧縮されたそれは圧縮時に細かい部分がポロポロ削れ荒くなり、おまけにその箱は一方通行、わたしは箱の鍵を持っていないからしまうと二度と取り出せなくて、かと言って圧縮→収納の流れは決定事項で手を出せないから物事が完結するたびわたしは端からそれが圧縮され閉じ込められるのを見ていることしかできなくて、多分その箱の中にはキラキラした大切なもの、友達や恋人や兄弟や両親、そういうものとの思い出もつまっているはずだけど触れられないからわたしはそれを思い出せない。箱は質量を持たなくて、せめて重さがあれば触れられなくてもその大切さを感じることが出来たのになと少し残念に思うけど、わたしはこの仕組みをどうこうすることなどはじめから出来ないので、残念に思っても仕方がない。ただ「忘れた」と思えるのはきっと救いで、「なかった」よりも桁違いに幸せなことで、そうは思うけどこれに関してわたしは「どっちがいいかな」と思う。

彼女の言う「どっちがいいかな」にわたしは「きみの方がいい」って即答するようにわたしの思う「どっちがいいかな」に多分彼女は「あなたのほうがいい」って言うと思う、だけどわたしはううん、と思う、多分これはないものねだりだ。

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