2013年4月15日月曜日

20130415-00

ここ二日間、すごくたくさん泣いた。
来なかった未来とか果たせなかった約束とか、失われた明日とか、
それでもわたしが哀れんだりしちゃいけないものたちのことを、たくさん考えて泣いた。


すごく当たり前のことなのに、言葉にしたら泣いてしまうことがあって、
それは言葉にして再認識することによって、いろんなことを自覚するからで、
あえて言葉にしなくても、ふんわりとわたしがそう思っていたり、それを自覚していることにはかわりがないのに、
きちんと言葉にしなければならない気がしたから、思ったことを思ったときに話した。
何を言っているかわからないだろうにちゃんと聞いてくれたひとにわたしは今すごく感謝をしているし、わたしはまたここで、あのときあそこで思ったことを、思い出して再認識して、また少し泣いている。


たのしいことをたくさんした
すきなひとと手をつないで街を歩いたり、
いろんなものを食べたり見たりして、
すごく幸せだなあと思ったけど、
彼らが果たせなかったことを、いまわたしは、すきなひととしていて、
これが生きているということか、と、思ったし、
わたしはすごくしあわせだな、と思うと同時に、
なんであの子たちには、こういう時間がもっと与えられなかったのかなって、
考えても仕方がないことを考えた。


駅前からバスにのって、窓の外をぼおっと眺めていたら、
あたりまえにこういう日々が続くと思ってた、と言った女の子のことを思い出して、
正解のない、正しいともいえない、でもどうしようもない気持ちや行動や、
もしかしたら誰かの優しい行動は、誰かにとっては酷く残酷かもしれないなということや、
どういう気持ちであのとき、あの子は声をかけたのかなとか、
どういう顔で、おうちにかえっていったのかなとか、
色々思ってしまうことはあったのだけど、そんないろいろよりも、
彼女が語った「あると思っていた日々」が、わたしにとってはとてもリアルで、
例えばわたしもきっと今、無意識にそういう未来を思い描いていて、
そういうものが、って考えて、
どうしようもなくて一人で泣いた。

しあわせであればあるほど泣けてくるし、
右手が温かくて泣けてくるし、
ベンチや道路や路地や公衆電話を見ても泣けてくるし、
わたしとてもひどい顔をしていたとおもう。



わたしがこうしてすきなひとと、誰かの果たせなかったデートをして、
誰かが過ごせなかったしあわせな日々を送り、
もちろんわたしだって明日、死んでしまうかもしれないけれど、
好きな人と手をつないで歩きながら、
ああ、わたしいま、あの子ができなかったことをしているんだ、と思って泣いて、
わたし、ばかみたいなことで泣いているな、と思った。

わたしはあの子たちがしたかったこと、
思い描いていた未来、
そういうものを手に入れるかもしれない
特別じゃなくてあたりまえのこと、ごはんをたべて、ねむるような生活とか
それに罪悪感を覚えることはないけども、
これがいきているということだし、
つまりはそういうことだ。




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去年東京にいたわたしを思って、
去年東京にいたわたしが今のわたしを見たら、びっくりするかななんていうかなって想像して、
しみじみ感慨深かった。

わたし感慨深いことがここ最近毎日ある、
でもすぐ泣くやつだと思われたくないから、あんまり人前で泣くのはもうやめよう。

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