2013年4月12日金曜日

20130412-01

それでもわたしはわたしの経験を/踏みにじってきた尊厳を/後にした九つの住処を/庇護された24時間を/無視することは出来なくて、だからつまり君のヘルシーさはとても眩しくて目がつぶれそう、でも今までみたいに目を瞑るどころか顔面背けてシャットアウトはわたし多分もうしないと思う。
わたしの哲学はあの四文字から変わることなく揺るがなくて、でももし例えばわたしが明日死んでしまったら、わたしの哲学ときみの哲学は矛盾することなく共存する。つまりはそういう可能性だって無きにしも非ず、きみはこれを聞いて呆れそうだけど、わたしにとっては偉大な一歩だ。


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打算と計算で生きているわたしにあの子はちょっと眩しすぎる。無垢な無邪気さに傷付くとき、一番ダメージ食らうのは「無垢さに傷付いている自分を認識すること」だ。傷付くわたしが悪くて汚い、でもこんなにしんどいならばいっそ離れたほうがいいのでは、そう思った次の瞬間に邪気ゼロの笑ってしまうようなメールが来たりして、ああ、と思う。
自分の汚さや計算や甘えや感傷や期待やそういうの、全部ぶっとばしたら多分わたし、普通に「ねえねえ」って話しかけてしまう、だから多分わたしはあの子と、間違いなく友達なのだと思う。
 

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わたしが表立ってできないものがあるとすればそれはわたしが「わたし」であることのマイナスが大きいと判断したからで、例えばきみとわたしが友達であるということを前面に押し出したらきみはわたしなんかと友達でいるような人間だと判断されてしまい非常にマイナス、これは自己卑下でもなんでもなく純粋にそう思うからわたしはいろいろ鑑みるけどなんだかかくしごとのようだなとも思う。だいすきなものはだいすきとわたしは比較的叫ぶほうだけどそれでも自粛することはあってそれは前述の理由の通りなのだけど、それはいくら考えても考え直しても揺るがないからもう絶対そうなんだけど、それでも、ううん、って思うことがある。人にはいろんなスタンスがあってそれぞれの環境や性格や諸々があるから正解なんてないけれど今わたしが思うわたしの正解はこれでありほかがうらやましくなったとしても詮無いことなのだけど、ああ、って思うことはある。
ほかの子みたいに全世界に向けてきみのこと、「大好きな誇れる存在です」とわたしいえないから、閉ざされた狭い空間で虚空に向かってそれを毎日叫んでる。本当は、って思うことあるけど、自分で出した結論だし、わたしはこれが一番賢いと思うからそうなのだ。
本当はこんなこというのだって、ルール違反で賢くない行動だ。
 
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考えたいことが山ほどあってでもそれには時間と空間と騒音の排除が必要で、だからわたしはまだ全然それに向き合えていない。平坦なわたし、平坦な感情、動かない指。胃液でもいいから何か吐きたいと思うけど何も出てこない、そんなのはきっと嘘だ。


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ここのところなにかを思い出して感慨深くなることが多々ある。それは後悔などでは決してなくて、例えば数年前、どこかですれ違ったかもしれない、顔も名前も知らなかったひとと今仲良くしていることや、あの時遠くから見ていた未来にわたしが登場することや、そういう類のこと。毎日明日死んでもいいかなあと思って生きていて、正確にはそれはすっごく困るからいやなんだけど、でもまあ明日死んだとしても結構色々伝えているからいいかなとは思ってる。




 ひどくねむたくてまとまらない。おやすみなさい。

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