2013年4月11日木曜日

20130411-01

大事にしたいたいせつなものを、嫉妬や虚栄で守れるわけがない。
空中に吐いた呪詛の言葉はいつか自分を蝕むし、口にするたび顔面が腐る。
これは比喩じゃなくて、ほんとうのおはなし。

腐臭と崩壊に気付いていないなら、今すぐ新しい鏡をどうぞ。

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悲しくなくても泣くことがあり、たとえばわたしは今年に入って何度も泣いているけれど、それは全て悲しいや痛いが原因じゃない。
今日も今日とて感極まって泣いた、どっちの方向に極まってるのかは不明だけれど、わたしの感情を極まらせるのはいつだってだいすきなひとたちだ。

事実の当然の帰結について/耐性と二度目の登壇について/平坦なわたしと動かないキーボードについて/全ての唾棄すべき賞賛と吐いた二酸化炭素の再吸収について/白色ワセリンでぼかされた不可侵の領域について/共有、もしくは共作した世界の閉ざされた扉と比例する閉鎖性について/物理的隔たりと精神的それの相関について/それらに巡る無意味な思索について。


説諭はそのままブーメラン、切れ味の鋭さにおののいている。


ここまで読んでくれたあなたへ。
「感極まる」をグーグルで検索すると、「感極まるダスティ・ホフマンさん」という記事が出てきて、
すこしほっこりします。おためしあれ(2013/4/11 15:47現在)。


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