2014年4月6日日曜日

20140406-02

ミステリ好きはあらゆる動機とトリックと真犯人に慣れていて、密室殺人やアリバイ工作、一番近しい恋人が真犯人だったり語り手が探偵かつ真犯人だったり男だと思ってた彼が女だったり実は登場人物が一人足りなかったり、かと思えば仏様が出てきて真犯人を逃がす一歩手前で先祖の祟りが降ってわいたり実は最初からすべて自分の幻覚だったり、叙述トリックとトンデモミステリがエンターテイメントとして広く普及した今、びっくりするような結末を望むのは無理で、だからこそミステリの感想で「途中で犯人が分かりました」というのは、ひどく無粋だと思っている。


猫の誕生日に本をもらって次の日読んだ。

わたしが一番好きな作家は江戸川乱歩で、それは物心ついた時から変わらない。乱歩の名を冠して書かれた作品は数多くあり、それは江戸川蘭子(は特殊だとしても)からコナンまで、もうシャーロックホームズばりに一般名称と化したそれはもういちいち思い入れを込めていては仕方がない程度にたくさんあり、それでもやっぱり、乱歩の名が(そして夢野の名が)でてくると心が躍ることは否定できない。
知人の描いた本を読むことはままあれど、先に作品を知りそれから知人となるパターン、知っている人が何かを書くパターン、後者はどうしても「XXの書いたものか」と感慨深く見てしまうことがあり、でもそういう感傷がだんだんと取っ払われて、一作品としてただただ「普通に」楽しめるというのは、たいそうなことだと思っている。たいてい、作品と作者は(わたしの中では)乖離するけれど、それが本当に一ミリたりとも作者を思い起こさせずただひたすら楽しく読めるというのは、(わたしにとっては)作品が本当にエンターテイメントだという証左であり、なんだかそれは魔法のようでもある。


なんていうかすげーおもしろかったです。 叶うことなら映像で見たいな。

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