2014年4月9日水曜日

20140409-01

手をパーのかたちにして前につきだせば隠れて見えなくなるような映像で、ヘッドフォンを外してしまえばたちまち聞こえなくなるような音で、どうしてわたしは喉の奥をグッと鳴らしながら声を上げるのを必死でこらえているのだろう。例えばたくさんの人が作り上げた芸術作品、重厚感のあるそれは感動に値するし、だけど、なんにもない、声しかない、たったそれだけでどうしてわたしは泣いてしまうんだろう。この人を最初に知ったのは知人の「お金を振り込んだのにCDが全然発送されてこない」という愚痴で、だから最初からすごく印象が悪くて、だけども短編映画の単館上映であの作品を見られたこと、多分すごくラッキーだったのだと思う。最初の悪い印象がどうしてもぬぐえなくて、だから今も個人的にはあまり好きじゃないんだけど、そういうの全部吹っ飛ばして心の奥の奥からしりこだま抜かれるみたいなこの暴力的な引力ってなんなんだろう、人の声にはちからがあって、そこには例えば容姿とか個人的感情とか私事とかそういうのばかみたいになんの意味もなさなくて、例えばわたしがどんなに個人的に彼女を嫌いでも、どうしようもなく、紡がれる言葉も、奏でられる音も、わたしを引き付けて放さなくて、なにがどうとかじゃなくて、嬉しいとか悲しいとか何か感じ入るとかそういうの何も考えられない、頭が真っ白になる、多分これが本当に単純に「感動する」というやつで、だからわたしは、この子がこのまま作りたいものを作って、やりたいことをやり続けられることを地球の片隅で楽しみに祈る。

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