2014年4月3日木曜日

20140401-01

煙草を吸うのは人生で数度目で、でもその数度も愛煙者に言わせれば吸ったうちに入らないような口の付け方で、だからわたしは自分が格好良く煙草を吸えないということがわかっていたから、火をつける瞬間の緊張は半端なものではなかった。わたしは自分が普段煙草を吸わないということを人に見抜かれては、絶対にならないと思っていた。
漫画や小説で、「普段煙草を吸わない人が火をつける際息を吸わずただ口にくわえてしまって火がうまくつかない」という場面を何度も見ていたから、ライターをそっと近づけられた瞬間にわたしは思い切り息を吸い込んだ。私の煙草には無事に火がついたが息を吸い込みすぎたせいか、一瞬で根本まで燃え灰になって落ちた。動揺を顔に出さないように吸い殻を灰皿に押し付け新しい一本をすまし顔でくわえ、今度は自分で火をつけた。
普段の呼吸――酸素を吸い、二酸化炭素を吐き出すそれ――も、どこまで吸ってどこまで吐けばよいか解らない、つまり普通の呼吸もうまくできないわたしが煙草を上手に吸えるわけは到底なく、だからまるでうがいをするように吸った煙を口の中で転がして吐くしかできなく、その行為は嫌いな煙草の匂いを口内に染み付けるだけの作業に思えて、改めて、どうしてこんなものを摂取しなければならないのかと思った。

普段灰皿を片づける時に目にする吸い殻は短いものでもフィルターがしっかり残っていたから、だからどれだけ油断してもフィルターと呼ばれる根元部分のスポンジのようなところは燃えないと思っていたのに、どの程度消費して捨てたらいいのか解らないわたしの煙草はなんだかスポンジ部分まで燃えてきているようで、つまりは指で挟めないほど短くなり、熱くて思わず唇を開けると煙草はぽとりとテーブルの上の灰皿に落ちた。煙の味は解らないし匂いは好きではないし、なんとなく色が付きそうだしお金もかかるし、煙草というものは難儀だな、と思った。

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