2013年1月22日火曜日

20130112-01


贖罪のためにわたしは産まれ、贖罪のために生かされる。人の命は地球より重いなぞたいそうなことを言う気はないが、じゃあわたしはどうすればいいの。わたしをつくり産み育てそこにあなたたちが贖罪を見い出すの、否定はしないけどだったらわたしはなんのためにわたしの人生歩めばいいの。贖罪のために存在する子供、贖罪のために育てられる子供、贖罪のために愛される子供。あの人たちが愛しているのはわたしじゃなくてその向こう、わたしから透けて見える誰かでわたしは罪の象徴で、あの人たちは許しのためにわたしを愛して慈しむ。「そうじゃなくなる未来」、わたしがあの人たちに救いを与えて与えられる未来、そういうものが想像できないわけじゃないけどどうしても、この愛情の本質を、考えずにはいられない。ただのわたしという存在を生物を、バックグラウンドなしに愛してくれる存在はない。存在を望まれたわけではなくて、罪の象徴と許しのために、わたしはこの世に産み落とされた。大事にされたし優しくされた、適切な愛情を適切に注いでもらい、理想的な環境ですくすく育った。なのにこの空虚は何だ、言動や行動じゃなく現実に/生活に/日々に、じわじわ滲み出るこれが空虚で、多分それはあの人たちからじゃなく、わたしの存在そのものから、染み出し続けている空虚だ。

わたしは死ぬまで愛されない、わたしは死んでも愛されない。わたしはわたしじゃなく、わたしはあなたたちの贖罪だから。


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携帯じゃなくSNSで誕生日おめでとうのメッセージがきて、ああ、って思った。
これは無意識の選択で、そこにはぼくらの距離感が、端的に集約されている。

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泥棒に感謝をしたことはないし今でも捕まって死ねばいいのにと思うけど、無理矢理物質を奪われたことで、自分で捨てられないものたちを捨ててしまったことになるならば、結果よかったのかなって少しだけ考える。
わたしの記憶はすぐなくなるから、だから例えば18きっぷや空港までの電車内、そういうところも本当は、一人の思い出だけじゃないのに見事に一人の記憶しかなくて救われる。

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本筋と関係のないお話にばかり惹かれる。みんなさらっとながすそこに、だれかの人生がかかっている。


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