2012年4月12日木曜日

20120412

合理的かつ生産的なものの考え方をしようとすると、いきおい非常に前向きな考え方になる。うじうじしていてもしょうがないからじゃあ打開策を考えよう、今ここに割れたお茶碗がある、それを見て君は悲しい、なぜ悲しいか考えよう、それを解消するにはどうしたらいいか考えよう。割れた茶碗は元に戻らないから一から作ろうか新しいの買おうかそれとも接着剤でくっつけようか。そのお茶碗にどんな思い出や思いが詰まっていたかはこの際おいておいて、悲しい理由がわかれば解決方法も幾通りか出てくる、それのどれがベターかはわからないけど、只メソメソするという選択肢が合理的でないことだけはわかるよね?



仕事においてはこの考え方はとても正しい、してしまったミスはそれとしてどうやってフォローするか、そしてどうやって再発を防ぐか。じゃあこの考え方でプライベートだって生きられれば何もかもうまくいくんじゃないかって考えるんだけど、考えたんだけど、考えたところで至った結論が、「その考え方が正しいかどうか」と「その考え方で楽になれるかどうか」は別だし時に逆、ってことだった。



自分自身に起こった悲しいことやつらいことで泣けない。だって泣いても仕方がないから。泣いてどうにかなるんならとっくに世の中から戦争はなくなっているはずだ。泣いている暇があるなら目を開け手と足を動かしその物事の解決に励め。もうどうしようもないことならば教訓だけ抱いて忘れろ。どうしても根底にそんな考え方があるから、自分のことだと、泣けない。あとはそうだな、何もかもなんだけど、「結局こうなったのは僕がわるいからだ」って思っちゃうから。友達とけんかしたのも、今日へんなひとにからまれたのも、ともすればペットが死んだのだって全部自分のせい。究極の自意識過剰なのはわかっているけど自分に対しては精神論を振りかざさずにはいられない。がんばれば何だってできる、空を飛べないのは僕が心のそこからそれを信じていないから。一ミリも迷いがなければ空だって飛べるし、強靭な意志があれば風邪も引かないし億万長者にもなれる。つまり今僕が「そうじゃない」状態にあるのは僕の意思が弱かったり精神力がないせいだ。だから僕が悪い、つまり、結局自分のせいなのだから、泣くのなんてばかみたいだ。



 小説やまんがや映画、ともだちのかなしいはなし・うれしいはなし、ではポロポロなける。
でも泣いているうちに、ああ、わたし、自分のことだと泣けないから、これにかこつけてその分まで泣いているんだなぁってわかっちゃうときがある。わかっちゃうと一気に涙が止まっちゃうから、なんとか気づかないふりをしながら、泣く。じゃないと、パンクしちゃう。


 
最近すべてのものごとは理論的に説明がつくんじゃないかとおもっている。
数式。化学式。よくわからないけどそういうもので。
車が動くのも、パソコンが動くのも、人間がうごくのも全部理論的に説明ができる。
感情のゆれも、プラシーボ効果も、たぶん全部論理的に説明ができる。
それを解き明かせたらもしかしたら、わたしの頭の中の回路のいちぶぶんを、ちょちょっと刺激するだけで、ハッピーになったり悲しくなったり自由自在にできるんだろうなって思ってる。
もうそっちの方向に走り出しちゃったから僕ますます泣けない。僕の思考回路肉体構造すべて解き明かされるまでたぶんまだまだ時間がかかるから、とりあえず、それにかこつけて号泣できるようななにかがあったら、どなたか教えてください。小説とか、まんがとか、アニメとか、音楽とか。




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いろんなことから逃げたくなるときがあるんだけど、そういうとき、現実逃避じゃなくて、第三者のことがらみたいに考える。仕事みたいに考える。そうすると私情感情一切挟まず賢い行動ができるから。たとえば嫉妬深い女の子がやきもちばかりやいて、両思いだった男の子にだんだんと嫌われていくものがたり、ああいうのってマンガや小説で読んでたら「どう行動するのが正解だ」ってのがすごくわかるじゃないですか、だからそういう風に考える。そうやって僕はいつも、合理的で・最短距離の・正解の方法ばかり考える、んだけど、そんなときに「それお前のだろ」って言われたら、すごく、しびれる。

わたし、簡単じゃないのわかってるけど「簡単ですよね」って言ってほしいときあるんだ。








こうやってひっそりとインターネットの片隅で、読みにくい長文にちりばめた告白は、いつかきみにとどいたりするのかなあ。

 




おふろはいろう。

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