2012年4月28日土曜日

20120428-1



何千何百と描かれた結末が、小説やアニメマンガで散々繰り返し消費されて擦り切れたような結末が、現実に降りてくると人を殺傷する能力を持つ。
「おんなのこはだいすきなおとこのことなかよくくらしていました、ある日<出来事>が起こって、おんなのこはおとこのことはなればなれになりました。おわり」。終わり。それでおしまい、ザッツオール。

いつものように洗濯物を干していた。バスタオルは干し終わって、あとは小さなタオルから。干すスペースがあまりないので二枚一組でおんなじ洗濯ばさみに。少しだけ裏表を気にしながら干す。干す。干す。彼がなんだか具合が悪そうにベッドから立ち上がって手伝おうとするから声をかけた。「どうしたの?なんだか辛そうだよ、もししんどかったらやすんでてもいいんだよ。」「こんなの、今すぐ終えなくちゃいけないわけじゃない。明日でも、あさってでも、いいんだよ。」彼は悲しそうにわたしのことをチラリ見て、両手をわたしの後ろに回しかけて数秒、抱きしめることなくベットに倒れこむ。「いつまでもこうしていちゃだめなんだ、僕もう新居の入居日がすぐなんだ。」わたしはそこで突然思い出す、そうだ、わたしが彼に出て行ってって言ったんだ、それから数ヶ月、彼はちゃんと新居とあたらしい女の子を見つけてきたんだった、そうだ。
タオルの端っこの折り返しの縫い目と、藍色に印刷されたどこかの旅館の名前を見ながら考える。これを選んだのはぼくだ。ああそうか、これは夢だ。本当はわたしが彼を裏切って家を出た、本当はもっとひどいことをわたしはした、本当は、わたしはこんなふうに彼に、「どうしたの?」なんてやさしく声をかけなかった。優しい彼が疎ましくて、頼りなくて、頼り切って、それでひどく裏切ったんだった。


ここ数年ずっと思っている、好きな人がどこか遠くで幸せでいられたらわたしはそれで幸せだなって、本当は嘘なのかなって考える。 考えてみるけどやっぱり何度だってその結論に達するし、結局わたしみたいな最低の人間が一緒にいる時点で彼は幸せになれないのだからなにもかも彼にとってはよいことだったのだなって思う。当時どんな苦悩や葛藤があったとしてもいまハッピーエンドなら、それらは全て今の幸せへの布石であり、四苦八苦した上で疫病神みたいな人間と離れられたならその四苦八苦も必要だったのだろうな、もしそれがなくて、あのまま安穏とわたしと一緒にいたらとても不幸だ、だからもう今こうなってしまったんだったら、端的に言うと、これが運命なんだよ。



「本当に好きなら、好きな人がそばにいなくても、どこかで生きて幸せでいるだけで満足だ」って言葉は、裏を返せば自己正当化と保身にまみれている。まみれているけどどうしたってやっぱり、今考えうる最善策はこれで、感情がそれを否定するのであれば僕は、捻じ曲がった論理を駆使して僕を説得せねばならない。口八丁でもいい、嘘でも虚勢でも自己満足でもいい、僕はこの最良の結論をなぞらなければならないし、なぞる以外にない。



(ごめんねわたしね本当はずうっと、正しい結論に自分をすり合わせるのに忙しかったんだ。
それでねいまごめんねって言ったけど、本当は彼以外の人が傷ついたりするの、どうでもいいんだ。
多分君がそこで臓物ぶちまけてしんでもぼくなんともおもわないんだ。ごめんね。このごめんねは、ほんとだよ。)


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しにたくなる朝にカーテンを開いて快晴だと絶望する、せめて低気圧のせいにしたいな。


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お風呂入って図書館へ行こう。そのまえに、それた思考を吐いてから。

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