2014年3月3日月曜日

20140303-01 にっき

唐突に日記と思い出話をします。

わたしの実家には大量の絵本と乱歩と横溝と星新一があった。星新一は父の、それ以外は母の趣味。趣味というか、母は保母をやっていたから、絵本が大量にあった。それに囲まれて育ったからかわからないけれど、わたしは乱歩が好きで、つまりミステリが好き。
小学校の図書室で乱歩を探したら少年探偵団しかなくて、家では大人向けの、学校では少年探偵団を読んだ。でも将来は探偵じゃなくて、007を見てスパイになりたいと思った。「わたし、CIAに入る」って言ったわたしにお父さんは「がんばってね」って言った。
家にはゲームがなくて、スーパーファミコンとかファミコンとか64とか友達の家にはあったけどわたしの家にはなくて、だから本ばかり読んだ。テレビも、ご飯を食べるときは見ちゃいけなくて、でもそれ以外でも見ることってほとんどなかった。ウゴウゴルーガとかが流行っていたけれど、わたしはとても田舎に住んでいたから、そんなものがやっている時間に家にいられるわけがなかった。わたしが見たことのあるテレビはめざましテレビだけで、小学校の卒業文集に「好きな芸能人」を書く欄があったのだけれど、テレビを全然見なかったわたしは芸能人を全然知らなくて、めざましテレビのキャスターの「なっちゃん」って書いた。クラスの男子に「なっちゃんってアナウンサーの? すきなの?」って聞かれて「うん、なんかいいじゃん」ってごまかしたの、今でも覚えてる。
中学に上がって、体育の時間、校庭でよくわかんない自由時間があって、うちのクラスととなりのクラスの女子で円になって、一人ずつSMAPで好きな人を言うってことになったとき、すごく焦ったこと、これも今でも鮮明に覚えている。わたしはSMAPが何かしらなくて、でも「知らない」って言えなくて、隣の子が「ゴローちゃん」と言ったから、「わたしも!」って言っておいた。

とにかく、だからわたしはミステリが好きで、なんたらかんたら殺人事件ばっかり本を読んでいた。でも海外の作品はどうしても登場人物が覚えられなくて、ホームズもルパンも(そしてポーも)読んだけれどあんまり覚えていない。それは今でも変わってなくて、登場人物が日本の名前じゃないと、どうしても覚えられない。バカなんだと思う。

今日雫井脩介先生の『火の粉』を読んで、めちゃくちゃ怖かったから日記を書いている。悪の教典もそうだったけれど、こういう話、わたしの中ではサスペンスに位置づけられるこういう話、本当に心がしんどい。読んでいてつらい小説と言えば最近読んだ辻原登先生の『寂しい丘で狩りをする』、読み切るの本当にしんどかった。まどマギマミさんみたいに「みんな死ぬしかないじゃない!」改め「先に殺すしかないじゃない!」と思ってしまう。わたしのなかで一番しんどい小説が久坂部羊先生の『無痛』なんだけど、タナダユキ先生の『復讐』も、しんどいというか考えさせられて辛かった。薬丸先生の『天使のナイフ』も。
それと違う方向でわたしがとても苦手なのがバトルロワイヤル的小説。貴志先生の『クリムゾンの迷宮』はみんな知ってる名作過ぎる名作だけれど、わたしああいう立場にもし立ったら(インシテミルとかもそうだね)真っ先に自殺したい、痛くない方法で。多分、「誰かに狙われる」というのが精神的に耐えられないんだと思う。でもその「耐えられない」を差し引いても寂しい丘で狩りをするは本当にしんどかった、もうわたしが作中に躍り出てXXXてやろうかと思うくらいしんどかった。

火の粉があまりにも怖かったからよくわからない日記を書いてしまった。わたし乱歩で一番何が好きなのかなって考えたときに、パノラマ島がすごく好きだけど、鏡地獄が一番に出てくるかもしれないと思ってる。あれ、こわいものみたさで、一度やってみたくもあり、でもおそろしいから、多分できないと思う。
屋根裏のせいで電車で口を開けて寝ている人を見ると不安になるし、あれは現実に起こり得ることだと思うから、みなさん絶対、電車で口を開けて上を向いて寝てはいけないよ。




人生を変えた小説ってそうそうないと思うけど、「別に作品にも作者さんにもそこまで強烈な思いやりがあるわけじゃないのに、よくわかんないのに、人生に深く刻まれた」みたいなものがあるなって最近とても思う。例えば桜庭先生の七竈を、わたしは全世界のそれ(ハードカバーのほう)を買い占めたいほど好きだけど、多分人生にってのとは少し違って、ただ作品として好き。そうじゃなくて、人生が変わるというか刻み込まれるものってあるなって思う。よくわかんないけど刻まれちゃったなって言うもの。今現在わたしの人生を一番変えたのが梨木香歩先生の『雪と珊瑚と』で、何がどう変わったかは誰にも言わないけれど、びっくりするくらい考えが変わった。あとは『ホテルジューシー』。ホテルジューシーのおばあのお部屋のお洗濯の話は、わたしことあるごとに人にしている。あと安吾の(なんで現代の作家さんだと「先生」ってつけるのに、安吾とか乱歩は呼び捨てにしちゃうんだろう。もうわたしのなかで伝説の先生みたいになっているのかな)『青鬼の褌を洗う女』は、人生を変えたというか、できていないんだけど、ああいう女の人になりたいなといつも思う目標みたいなもの。今は全然できていないし、現代社会のせいというよりも「いまのわたし」は目指そうともしていないというかできていないんだけど、すごく良いなと思うから、絶対実現できない、目標みたいなものだなって思う。


 火の粉があまりにも怖すぎて、変な日記を書いてしまった(これを書くのもこの記事の中で二度目だ)。怖い本と言えば、自分の中に強く残っている本と言えば、と思い浮かべて、ツイッターでつらつら書きそうになって、でも長いからブログに吐こうって思って、吐いたらものすごいくだらないものが出てきていま笑ってる。あと宮木あや子先生の『花宵道中』はサイコーだし(宮木先生の作品は全部サイコーだけれども)、『雨の塔』に出てくるフレーズが好きすぎて違うブログタイトルにまるまる拝借した。わたしは本、全然詳しくない、文学とか全く分からないしジャンルもよくわからないから批評というものができないけれど、本がすきだなあと今思ってる。


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