2014年3月23日日曜日

20140323-02

たくさんのものを捨てた、古着のワンピースや書きかけのノート、錆びついてしまった指輪、買って開封すらしなかった小物たち。ものをたくさん持っているといざという時不便だから、それでもやっぱり生活していくにはすべてを捨てるわけにはいかなくて、だから結局わたしの身の回りはとても中途半端だ。


低気圧と、女性ホルモンと、春と、そういうもののせいにしてしまえばなにか救われる気がするのだけれど、死んだように生きるのは本当につらいなと思う。風邪をひいてしまった時のように「暖かくして眠る」とか、適切な処置方法がわかっているならまだ楽なのに、いくら寝続けても一向に良くならなくて、じゃあどうしたらしんどいのを終わらせられるのかなって思うともう答えは出ていて、でもそれは本当に取り返しのつかない行動だから、熟考が必要なんだと思う。


相変わらず本を読んでいるけど読書メーターを開き「既読」のボタンを押す作業すら億劫で、でも記録しないと読み終わった本はわたしの頭の中からボロボロ落ちてゆく、それはつまり、最初から何も読んでいないことと同じだ。例えば単調作業の反復だけの携帯ゲームをするよりも本を何冊か読むほうが有意義のような気がするけれど、わたしのように読み終わった端からボロボロ忘れていくのなら、それとこれとの間には、大差はないなとそう思う。


熱いお風呂に長時間入ると目の前が真っ暗になって立てなくなる、湯船につかっている間は案外平気な気持ちでいるのに上がった瞬間足がふらついて目の前が暗くなる、その度にわたしは「これがのぼせるという現象かー」と思う。のぼせるとわたしはたいてい、体を雑に拭きバスタオルを体に巻いてリビングのソファに座ってぼおっとする、そうしているうちにたちまち湯冷めしてもう一度湯船に浸かろうかなと思う、この反復作業は、非常に無駄だなあといつも思うのに繰り返してしまう。



調子がよくなくて、そうすると料理が全然できない。調子が良く無くなくても、ただ忙しいだけでもすぐ料理を作る気がなくなってしまうから、要するにわたしがなまけものなだけかもしれない。
ゴミを捨てる、食器を洗う、必要な電話をする…程度のことが調子が悪いとできなくなって、だからわたしは自分の手帳のマンスリーに、それらを箇条書きにする。終わったらひとつひとつ、棒線をひいて消してゆく。朝起きる、ごはんをたべる、猫にエサをあげる、トイレ掃除をする、その程度のことは当然過ぎて本来ならば日常に埋もれてしまうこと、だけどわたしはそれらが一世一代の大仕事に感じるから、いちいち手帳に箇条書くのだ。やるべきことをやった感じがする、「誰も褒めてくれない」というのは裏を返すと「誰かに褒められたい」ということで、つまりわたしは何か行動をするとき、誰かに褒められるためにでなければ動けないということなのかなと考える。誰にも褒められなくて認められなければ、朝起きたくもないし、ごはんもたべたくないし、いろんなことをしたくない。たとえその「いろんなこと」が誰のためにもなっていなくてわたしのためだけの行動だとしても、それでも多分誰かに褒められないとどうしてもできなくて、だからわたしは自分で自分を褒める。生きていて偉いねっていうレベルで褒められないと、吸って吐いてを混乱せずにちゃんと呼吸ができて偉いねと、そうじゃないと息すらできないのだと思う。


早く時間がたたないかなと思う、待ち続けながら死んだように生きるのであればショートカットしちゃえばいいのにと思うけど、なんだかんだ言い訳しながら、ずっと待ちわびたりするのだと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿