2014年3月6日木曜日

20140306-01

2月中旬の豪雪もあらかた溶けて、仙台市街地にはもう雪は残っていなかった。これから3日間、修学旅行という名の個人旅行でここに滞在しなければならないわたしはまずはホテルを探さなければならなかったのだけれど、駅でばったり会った知人が、実家に泊めてくれるという。仙台駅から車で20分ほど走るともう雪景色が広がっていて、まだ除雪のされていない細い車道には轍の跡がくっきりと、そこから両輪がはみ出さないよう友人は慎重に車を運転した。
どこまでも続きそうな直線道路と左右に広がる雪原となった畑、100mかそれ以上ごとにポツポツ現れる民家は完全に北海道の田舎のそれで、実家を思い出して懐かしくなる。「あ、あそこだよ」という友人の声で正面を向くと前方右手に赤い屋根の二階建ての家とこれまた赤い屋根の大きな車庫が二つ、車はゆっくりと速度を落とし敷地内に入った。友人の足捌きを全身で感じながらこんな雪道で走行・右折するなんてわたしにはとうてい無理だなと改めて思う。
車庫と民家でコの時に囲まれた敷地内に入ると、自転車に乗った巨大ないきものが敷地内をくるくる楽しげに回っていた。焦げ茶というか茶色の絵の具に黒を混ぜたような色をしたそれは二階立ての高さくらいあり、器用に自転車に乗る様子はまるでかわいらしい絵本の中の動物のようだった。彼は人間になりきって軽快に自転車でコの字の真ん中をぐるぐる回っていたけれど、突然テリトリーに入ってきた車に驚き、そしてその車に乗っている二人が明らかに驚いた顔をしているのを、そしてその中に明らかな怯えを見てとり、わたしたちを敵と見なし、人間のふりをするのをやめた。

友人は何も言わずハンドルを左に大きく回し今来た道を大急ぎで戻る。重力の中心が、右側に移動する。もしかしたらあの民家には友人の両親や80になると言う祖母が残っていて、もし「あれ」が人間のふりをやめ家人を襲うことを決めたならば逃げきれることはなさそうで、そこまで彼女は計算し車をUターンさせたのかなと猛スピードで車に迫る「あれ」を見てわたしは思う。助手席に乗るわたしに逃走を手伝うすべはほとんどなくて、でも少しでも力になればといつの間にか橇の形になっている車から落ちないように注意しながら両手で左右の雪を漕ぎスピードアップに荷担する。前に座る友人に体をぴったりくっつけて右折左折時には体重移動、それでも「あれ」は引き離されることなくついてくる。

同じ建物が何棟も建っているような団地にわたしは住んだことがないから、みんな自分の家がどこか、迷わないのかなといつも思う。唐突に現れたその団地の敷地内に滑り込んだところでわたしたちの乗ってきた橇は壊れ、わたしと友人は建物の陰に隠れる。雪遊びをしていた親子連れや物音に驚いたおばあちゃんたちが何事かとわたしたちを見やるので、わたしたちはかすれた声で後方を指さしあれ、あれ、と叫ぶ。叫んだはずのその声は掠れていて小さく、呟くくらいになってしまったけれどみんな指さす方向を見て、そして迫り来る「あれ」を見る。深い茶色の体毛に覆われた「あれ」は本性をむき出しにしており、さっきまで人間のふりをして自転車に乗っていたなんて到底信じられなかった。
団地の中に隠れようにもいつもは解放されている階段も外壁と同じコンクリートのシャッターが下ろされており、わたしたちと、そのとき外に出ていた人たちはひたすら建物の影に隠れるしかなかった。「あれ」の視界に入らぬように建物に回り込み続け、いい加減張りつめた緊張の糸が切れそうになったころ、市街地の方向から選挙カーの一団がやってきた。
のろのろと走る選挙カーからはうぐいす嬢の声が響いてきていたが、候補者は車には乗らず、選挙カーの横を徒歩で歩いているようだった。たすきをかけた彼は元スポーツ選手の有名人で、太い眉毛の暑苦しい顔はテレビの中の彼と全く同じだった。白い手袋をはめた右手を道行く人たちに振りながら、彼と選挙カーはゆっくりと車道を進む。このままでは「あれ」と遭遇してしまう、とハラハラしながら団地の影から見ていると、「あれ」はまた、どこからか持ってきた自転車に乗り、人間のふりをした。
西友で売ってそうな銀色のママチャリから「あれ」の身体はかなりはみ出ていて、全身を覆うモジャモジャの体毛と血走った目、隠しきれない牙とよだれは明らかに人間じゃなかったから、そんなものが人間のふりをしてママチャリを漕いで歩道を走ること自体に何とも言えない恐怖を覚えたのだけれど、元スポーツ選手の候補者はそんな「あれ」にも笑顔で手を振ってみせた。人間扱いされたことに満足して「あれ」はそのまま自転車でどこかへ行ってしまい、いや、でもだって、あんな姿のものに対して人間扱いして平然と接するなんて、わたしには絶対無理だ、と思う。

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